指摘

 数年前に、日曜日も診察しているという唯一の理由でお世話になっている歯医者さんに今日行ってきた。一昨日から歯が痛くて、ごはんを食べるのが苦痛だった。
 予約制は時として不便なもので、昨日痛くてたまらないから診てくれるように頼んだのだが、空いている時間がないと断られた。1日余分に耐えなければならないのかと不安だったが、何とか持った。
 歯科医は僕のレントゲン写真を見るや否や「無理をしていませんか?」と尋ねたから「かなり無理をしています」と答えた。すると「無理をしないでとは言えませんが」と枕詞の後、僕の診断結果を教えてくれた。
 写真を見ると僕が痛がっているところの神経はもう抜いているらしい。だから歯が痛むと言いうことはないのだ。ここからが新しい知識だが、神経を取った歯はその時点で体には異物になってしまうらしい。だから体力が落ちた時には排除しようとする力が働くらしい。それが今回僕が苦しんでいる痛みらしい。
 なるほど頷ける。まさにドンピシャだ。免疫が落ちているのはよくわかる。歳のせいと働き過ぎが同時に襲ってきた。気合を毎日入れてはいるが、体の警告がついに出たと言うことだ。
 なかなかこのように人様が指摘してくれないと、ブレーキをかけるのはむつかしい。イケイケドンドンと血が騒ぐタイプではないが、典型的なA型タイプではある。

子猫

 その子猫を拾ってきたことを妻は一晩僕に内緒にしていた。僕が猫をそんなに好きでないこと知っているから。後で聞いたのだが「捨ててこい」とでも言われると思っていたらしい。だが、拾ってきた顛末を聞くと当然のことをしたのだと思うし、人として信頼できると思った。
 一昨日、しばしば町内の老人宅に薬を配達をする妻が、捨て猫がたむろする漁師町に夕方出かけた。そこでいつも使っている空き地に車を止めたところ、1匹の小さな子猫が妻めがけて駆け寄ってきた。雨に濡れて震えていた。妻がそこらにいた大きな猫のところに連れて行くと、威嚇されて他の車の下で雨宿りもさせてくれなかった。そこで妻は仕方なく連れて帰ったのだ。
 翌日獣医に連れて行き診てもらったが、病気はなかった。安心して、ミルクやスポイドなどをもらって帰ってきた。そしてさっそく教えられたとおりに世話を始めた。クロネコだからヤマトと名付け、タオルにくるんで水やミルクをやっていた。水は飲むがミルクはなかなか飲まない。段ボールの中でほんの少しは歩くがすぐに横たわる。妻は教えられた通りゆっくりと時間をかけてミルクをやっていた。仕事はほとんどできなかったが、今日は薬剤師の応援があったから何とか回っていた。ところが夕方目をはらして降りてきた。「ヤマトが死んだ」
 僕は子猫が衰弱しきっていることは全く知らなかったからとても驚いた。捨て猫だからただひもじいだけだと思っていた。そういえば猫を長年飼っている薬剤師が昼食の時2階に上がって猫に触った時に、体温が低いと心配していた。そして死んでから妻に聞いたのだが、獣医さんは「もし元気なら2か月後に・・・」と言ったらしい。プロだからわかっていたのだろう。
 僕は、子猫の突然の死、親か飼い主に捨てられた子猫の非運を思った。大きな猫が威嚇したと言うことは、「どこからか連れてこられて捨てられたのではないですか」と言う薬剤師の推測が胸を打った。子猫の悲運は、遠くアフリカやアジアの国々では人間に対して行われているのではないかと思ったのだ。もし子猫が幼子だったら。なぜかそのことが頭の中を巡った。小さな子猫にはこうして手を尽くしてやることができるが、これが人間だったらどうなのだろう。
 わずか3日間だったが、僕にそうした気づきを持って来てくれたクロネコヤマトだった。

悲壮感

あなたの報告から悲壮感が随分と消えましたね。
時系列に書いてくださった症状の推移は、あるある大辞典です。
生理的にはとても自然な流れで、その流れがもう少しだけレベルアップすればもう完成かもしれません。今回の経験で、原因と結果が結びつきだしたのではないですか。以前は単にうろたえていただけです。因果関係がわかれば「それもありか」で終わります。
昨夜10時ころからさっき(朝の7時)まで、我が家の東西数百メートルにわたって電線の張替え工事が行われていました。深夜10数分だけ停電しますとの案内があったのですが、あれだけの工事でほとんど停電時間がないことが不思議でなりません。思わず朝のウォーキングの時に作業員にお礼を言いました。何台もの昇降車、作業員、ガードマン。すべてにお礼です。
2年前に、今と同じくらいの仕事をこなしていましたが、当時は自分の時間も確保して営業時間内ですべてをこなそうとして自爆しました。以来、いろいろな告知を減らしてお世話する人を減らしてきたのですが、また少しずつ増えてきました。今回は当時の反省で、開店前の朝まだ体力があるときにも仕事をし、夜はできるだけ早く寝ることを心がけています。こんな田舎の薬局を頼ってくださるのだからよほど困っていることは想像できますから、なるべくお役に立ちたいのです。最近は、今朝の工事のように、僕なんかよりもっともっと働いている方々を思い浮かべることにしています。頑張らない理由よりも頑張れる理由を探して1日を過ごすようにしています。
心配してくださってありがとう。偶然勉強を兼ねて手伝いに来てくれるかつての勉強会仲間の薬剤師も現れたので、そうした手助けをいただいて、やれるだけやってみようと思っています。
体力があった時には知識も経験もない、知識がついたころには体力がない。
痛感しまくりです。
ヤマト薬局

笑い話

よかったですね。このままゆっくりと完全離陸してくださるとうれしいです。
笑い話ですが、受験が一番岡山県で早く終わる高校と言うことで選んだ高校に息子が合格し、入学前の補習に泊りがけで行きました。10日後に迎えに行った帰りの車の中で息子が高校を辞めたいと言いました。何と他の生徒たちは、中学生の時に既に高校の授業をある程度していて、初めて教科書を見る息子とは雲泥の差があったのです。塾にも行ったことがないような子で、偶然受けたら合格し、何の予備知識もなく寮に入ったので、それはかなりのショックだったと思います。その車の中で僕は「辞めたいだろうな」「辞めたいだろうな」を繰り返しました。そして最後に彼に言ったのは「なよなよした都会の子を、県大会に連れていけ」でした。もともと○○高校からサッカーでスカウトされていたのですが、本人はバレーボールを高校でしたかったのです。その一言で彼は辞めたいと言わなくなりました。入学後の最初の試験はビリから2番目で、あと一人後ろにいたことを褒めてやりました。結局彼は1回戦で敗退常連のチームを県大会まで連れて行きました。それでよかったのだと思います。
大学時代、合計で数時間くらい我が家に帰って来たでしょうか。必死で育てたつもりですが、そんなものです。でもあのころが一番家庭としては充実していたように思います。今こうして書いていて、涙が出てきました。
今日発送しました。
ヤマト薬局

鼓舞

 見かねて今日も県外から薬剤師が手伝いに来てくれた。しかし、意外にも励まされた。彼女たちが若い時は、1日40人くらいの薬を作っていて、それこそ動き回っていたみたいだ。それに比べれば、僕は動き回ると言う感じではない。さすがに調剤するときは分包機の前や薬棚の間を移動するが、別に早足になる必要もない。むしろパソコンに向かって相談内容に返事を書いていたりするから静的な時間の方が多いかもしれない。
 体が止まっていて脳の中は活動していても、まさかそれで疲れるなどとは思ってくれない。ブルーライト浴び浴び状態で消耗するのは自分では分かるが人様は理解できない。
 薬局を譲ると言ったら、僕の個性と会う人が来ているのだから、箱だけ継承してもむつかしいと言われた。それはそうかもしれないが、それでは僕に終わりがなくなる。するとできる限り長く仕事をすべきだと諭された。人様のお役に立てれればそれに勝る幸せはない。それは全く同感だが、やる気はあっても体がついてくるかは心もとない。ある日ふとが、明日ふとになる年齢なのだから。
 あれだけのことを一人でやるのかと言うくらいの仕事を二人で分担できたから、今日の疲労感はかなり少ない。有難いことだが、もっと頑張れと言う激励が耳に残っていて、どの様に自身を鼓舞しようかと、彼女が帰ってから考えた。
 腰が曲がり、膝がよじれた高齢のお百姓の働く姿か、高座の上で倒れるを良しとする芸人たちの姿か。10時間以上手術続ける医師たちの姿か。確かに僕など及びもしないくらい働いている人はいっぱいいる。弱音など吐いてはいられない人はいっぱいいる。僕の弱音を今年初めての北斗七星の柄杓で流してくれ。

記憶

 もう朝かと目が覚める。明るかったらそのまま起きる。新聞受けから新聞を取ると、電気マッサージ機に身をゆだねながら新聞を読む。これをしなければ怖くて活動できない。腰がギクッときたら数日は仕事ができずに、家族に迷惑をかけるし、漢方薬を飲んでくださっている人にも迷惑がかかる。新聞を読んだ後は中学校のテニスコートに行き20分間歩き続ける。
 もう6時かと調剤機器とパソコンに電源を入れる。夜のうちに注文が入った方々の漢方薬を作り、相談メールの返事を書く。
 もう7時かと、2階に上がり朝食を食べる。およそ15分で降りてきて、再び漢方薬を作りパソコンにも向かう。
 もう9時かとシャッターを開けて、スタッフがそろったところで正式な仕事に入る。薬局に直接来る人、電話の人、メールの人、すべて漢方薬は僕の仕事。
 もう2時かと急いで2階に上がり昼食をとる。15分で食べ終え、運が良ければ電気マッサージに横たわり、15分間の深い眠りに入る。
 もう4時半かとピッチを上げる。その時間までに注文の漢方薬を作れればクロネコの集荷に間に合う。ただし、間に合わなければ妻がクロネコまで持っていく。往復20分かかるからなるべく4時半までに作り終えたいが、なかなかそうはいかない。
 もう7時かと急に緊張の糸が切れる。シャッターを下ろし再び中学校のテニスコートに行きウォーキングを20分間する。
 もう7時半かと夕食を30分かけて食べ、薬局に降りてくる。メールの返事を書き、相談の処方を決めブログを書く。
 もう10時かと2階に上がり風呂に入って布団に入る。
 2年前に今と同じくらい働いて、自律神経を壊してしまった。あの時は薬局の営業時間内にすべての仕事を済ませると決めていたから、それが災いした。今はその時の経験を教訓に、始業前に3時間、終業後2時間仕事をすることにした。
だから今のところまだ持っている。ただ自信はない。自律神経は明らかに悲鳴を上げ始めている。こともあろうに2年前の記憶の通りに。

背伸び

 手を伸ばせばすぐにボールペンをつかむことができる。1秒を争う職業でもないが、どこに行ったか探し回る時間はやはり惜しい。そこで昨日ホームセンターで、10本880円のボールペンを買ってきた。数か月前に同じように10本買ったのだが、あるものは使い切り、あるものは行方知れずになり結局は2本だけになったので、再び奮発した。
 僕ら世代の人間は、ボールペンなるものが世に現れた世代だから、結構今でも、魅力的なものに映る。そして高価なものの印象もいまだある。だから僕は1本を書けなくなるまで使い切ることに執着している。今でもそうだが、ただそれだとどこにやったか作業ごとに探し回らなければならない。探しまくって結局見つけたのは白衣の胸のポケットの中と言うのもしばしば演じるドジの一つだ。
 10本もあればさすがにどこにでもある状態だ。作業する場所は所詮3か所くらいだから、こと字を書くことに関しては完璧だ。1日合計でどのくらいの時間を節約できるのか分からないが、背伸び10回分くらいになってくれればしめたものだ。