響屋

 響屋と書いて「おとや」と読む。香川県の和太鼓のチームだ。31日の日曜日に詫間町で行われた演奏会に4人のベトナム人を連れて聴きに行った。その朝起きるときに背中に痛みを感じ、次第に悪化した。予定では9時に出かけ丸亀城を案内して、1時半からのコンサートに臨む予定だったが、痛みが治まる気配がなかったので、ぎりぎりの11時に出発した。痛みは2分ほど軽くなったが一か八かの大博打だ。そんな無謀なことをした理由は1ヶ月も前から4人が楽しみにしていたことだ。30人くらいの中から公平にローテーションして満遍なく楽しんでもらうようにしているから、一度でもチャンスを失うと又ずいぶん待ってもらうことになる。だからどうしても連れて行きたかったこともあるし、チケットを取り置きしてもらっていたから、僕たちが行かなければみすみす空席を作ってしい、チケットが手に入らなかった人に申し訳ないからだ。と言う分けで必死の思いで出かけたのだが、初めて妻に携帯電話を借りた。運転できなくなったとき、救急車を呼ぶためだ。そしてメモ用紙も用意した。ベトナム人だから伝言を頼むことができない。僕が日本語でメモ書きすれば助けをを必要としていることなどが分かってもらえる。そして腰痛バンドを力いっぱい締め、強烈な鎮痛剤を飲み出かけた。
 それらの勇気と決断が、コンサートの感激を増幅させてくれた。と言うより、この数年響屋の演奏を何度も聴いてきたが、聴くたびに格段にうまくなっている。このことはずいぶん前から気がついていたが、当日もまた「又上手くなった」と」確信させられるくらいの上達振りだった。僕はまったくの素人だが、10年以上、毎年10数回のコンサートに行っているから耳は肥えてきた。その耳を今回もまた楽しませてくれた。もちろん今まで以上に。
 香川県は和太鼓のとても盛んな県で、上手なチームがたくさんあるが、このまま行くといちばん実力があるチームになるかもしれない。また、幼い子達で構成された「童響」と言うチームは、他の和太鼓チームのコンサートだと、子供たちのかわいらしい演奏と言う理由で質まで問われないのが一般的だが、大人顔負けの演奏ができて、大人のチームにいつか合流して活躍できる力をすでに内包していた。
 会場でもらった6月最終日曜日に行われる「讃岐の鼓響」のコンサートのチケットの予約を今朝したら、電話口の女性が「お宅が一番目です」と言われた。パンフレットに出ている出場団体のほとんどが圧巻の演奏をしてくれる。これを観ない手はない。

二枚舌

 秋田県のどこかの市町村がイージス・アショアの候補地になっているらしくて、防衛省副大臣か誰かが表敬訪問していた。地元の首長とのやり取りをニュースで流していたのだが、これ以上不快なことはないくらいの言葉が発せられた。アホコミはそれに気がつかないほど程度が低いのか、権力に媚びているのか知らないがスルーしていた。
 と言うのは、地元の意向を無視してことを進めるようなことはありませんと言っていたのだ。それでは辺野古、沖縄のことはどうなのだ。地元の意向を無視し続け、海も人の心も破壊し続けているのはアホノミクス他悪徳政治屋と、太鼓もち疫人ではないか。
 よくも平気でそんな二枚舌と思うが、二枚舌どころではないのがやつらだ。およそ良心などは持っていないし、下々のことは想像もできないほど疎いし、口先三寸で何とでもなると高をくくっている。事実抵抗する勇気も気概もない人間が増えたから、あいつらの思うとおりにことは運ぶ。東北人の人のよさを利用して田舎の人たちを軍事施設のすぐ近所に暮らせさせることになる。
 中国や北朝鮮、ひいてはアジアの国々の人と同じような気質を僕ら日本人も持っていることを思い起こしたほうがいい。王様や将軍を崇め奉る歴史からまだまだ解放されていない事を。日本人も再びその憂鬱な歴史に戻りたいのか。もはや、やつらは全てのものを私物化している。犬察もアホコミも鬼業も。いやいやあなた自身もすでにやつらのものかもしれない。

断崖

 家を建てるのもリフォームも難しい。ただ家を建てるのは一生で一度くらいだから、失敗を学んでも多くは二度と生かすチャンスはない。
 その点、リフォームなら何度も経験することができる。経験を積むことによって失敗しない方法を身につける。と言ってもこれが素人にはなかなか分かりづらくて、腕前より口先のほうを信じてしまう。総じて口がうまい工務店は腕が悪い。施工前には心地よくさせてくれるが、終わってみれば後悔、いやいや後悔どころか敵意さえ持ってしまう。それだけこの国には怪しげな工務店が多いのだろう。それもそうだ、怪しげな政治屋と卑屈な疫人がやりたい放題なのだから、下々が潔癖であるはずがない。
 我が家も昨年あたりから立て続けにリフォームをしている。その立て続けをもたらしたきっかけはある若い職人との出会いだ。娘夫婦が花壇に凝って雑誌に出てくるような庭を造ったが、それを造ってくれた若い庭師と、後に彼女が結婚した若い職人との出会いだ。そのだんなの誠実さ、見かけや話しぶりではなく、あることを頼んだときの誠実さを見せられて、矢継ぎ早に難題を頼んだら、そのつど誠実に考え解決してくれた。ほんの一例だが、他の業者に依頼したら10万円の修理を彼はホームセンターの500円の商品で解決してくれた。原因を突き止めた彼は500円で解決してくれたのだが、原因が分からないのに10万円の提示をした業者が実際にいたのだ。
 その誠実さのおかげで、彼は結局数箇所に渡って我が家の修理をしてくれることになった。外壁なども含めるから結構な金額になるが、彼の口から修理を提案されたことなどない。まったくこちらの自発的な要望なのだ。ある工務店の一社員でしかない彼だが、本当の意味での現場監督の責任を果たしている。彼が連れてくるそれぞれの職人たちと現場を見ながらテーマを捉えよく議論している。金 かね カネのご時世に誠実に職務を全うしようとする一人の若い人に、何が人間にとって大切かを改めて教えてもらったような気がする。
 残念ながら現代の世の中を動かしているのは、誠実の対極の生き方をしている人間ばかりだ。1億円ばら撒く人間の会社の製品を貯蓄がない人間が買う。戦争犯罪人の孫を掃除大臣に、戦争で殺された百姓の子孫が選挙で選ぶ。何十兆円も内部留保をさせてやった社員が、20年前と変わらぬ賃金でこき使われれ、やがて東南アジアの人間たちと競わされる。
 無知の前で飼いならされた人たちが、見えない鎖につながれ、行列をなし絶望の断崖に進んでいるのが見える。

早川太鼓

 牛窓から久世町までは車でおよそ2時間半。もう少し行けば蒜山だから中国山地の麓と言ってもいい所だろう。県南の瀬戸内の町から西北の町までだからそれくらいはかかるだろう。訪れる度に、こんな北の小さな町で、コンサートホールを持ち自前の和太鼓のチームやオーケストラの楽団も持っていることに驚かされうらやましくなる。なぜかこの数年、早川太鼓のコンサートがことごとく僕が楽しみにしている他の和太鼓のチームのコンサートと重なり、早川太鼓の演奏を聴く機会がなかった。それこそ久しぶりのコンサートで楽しみにしていた。
 ちょうど入場開始時刻に着いたので、いい席があるのかどうか不安だった。ところが、1000人近く入れるだろう席に100人ちょっとくらいしか人がいなかった。僕の記憶ではかつて会場はほぼ埋まっていたように思うのだが、これではあまりにも寂しすぎる。演奏者もいまひとつのれないのではないかと思った。いつからこんなに観客が減ったのか僕には分からないが、とても寂しかった。
 多くのプロの太鼓を聴き続けているから、ついそうしたものと比較してしまいがちだが、なかなか素人でこのレベルに達するのは難しいと思う。ずう分上手で十分楽しむことができる。今回一緒に聴きに行ったベトナム人たちは初めての和太鼓だから、たいそう感激してくれて、身を乗り出して最後まで聴いていた。
 ひとつ自称和太鼓評論家の僕に言わせてもらえば、もっとソロの部分を増やしたほうがいいと思う。一糸乱れぬ演奏から一瞬ソロに移るのは、観客にとってはとてもスリリングで感動が増幅されやすい。演者の腕の見せどころが聴衆の感動を呼び起こさないはずがない。多くの力あるチームはそれをうまくとり入れている。スターが存在してもいいのだ。そのエースにつく客もいる。
 往復5時間をかけて訪ねても余りある感動をいただけた北の町の和太鼓演奏だった。

常套手段

 「人権団体によると、新疆ウイグル自治区ではウイグル人などのイスラム教徒を中心とした少数派民族約100万人が収容施設に入れられており、中国政府は同自治区での政策をめぐり国際的な非難を浴びている。中国の内閣に相当する国務院は、こうした非難に反論する白書を発表し、「テロリズムや過激主義を支援するいかなる行動に対しても、法律にのっとり厳しく取り締まる」と説明。新疆は昔から中国領土であるものの、「テロリストと過激派の勢力」が同地域の歴史を「歪曲」することで分離独立運動を扇動していると主張した。また、「新疆は2014年以降、1588の暴力テロリスト集団を破壊し、テロリスト1万2995人を逮捕、爆発装置2025個を押収、4858の違法な宗教活動で3万645人を処罰し、違法宗教資料34万5229点を押収した」と記し、「新疆でのテロ対策と脱過激化闘争は、常に法の支配の下に行われてきた」と主張した。

 金平糖を個人崇拝させ、権力を意のままにさせるのはあの国の常套手段だが、うそのつき放題もあの国の常套手段だ。何がよくてあんなやつに従うのか疫人自体も腐りきっているのは、いつかこの国が来た道であり、又この国が再び行く道でもある。金平糖をアホノミクスに置き換えればなんら違和感なく読める。ただ、いかにもこちら側はこそ泥程度だが。
 あいつらが法律を持ち出すのはチャンチャラおかしい。あの国の法律は時の権力者の権益を守るものだ。国民を守るようなものではなく、国民を飼い犬にしてしまうものだ。尻尾を振り振り、媚を撒き散らしている。同じ人間に生まれてきて犬同然とは。外国にでも行って傍若無人に振舞ってガス抜きでもしなければやっておれないだろう。
 あの国のIT企業が特許の数で世界一を2年連続で更新した。アメリカに取って代わり世界の覇者になる日は近い。肝っ玉の小さいアホノミクスはすでに尻尾を振り始めているが、この国の人間もそろそろその練習をしておいたほうがいい。企業はすでに買収を始められ、日本人が現在の東南アジアの人間と同じように「仕事をもらう」立場になる。ありがたいことだ。10万円給料をもらい、懸命に節約して5万円、日本で待つ家族に仕送りができる。ありがたいことだ。シェー・シェー

山麓窯

 昨日、備前山麓窯へベトナム人女性を4人連れて行った。彼女たちの目的はもちろん梅を背景に写真を撮ることだが僕は和太鼓の野外での演奏だ。普段見る機会がほとんどない県内の地元密着のチームが毎年交代で演奏する。和太鼓評論家の僕としては見ておかねばならない・・・なんて偉そうな感じではなく、それはそれで十分楽しませてもらえる。太鼓は2の次だった彼女らも演奏が始まると舞台の前に集まり、立ち見で最後まで聴いていた。それどころか2人の女性は動画で撮っていた。和太鼓はかなりの確率で外国人に感動を与える。
 そんな楽しい時間を過ごすことができたのだが一つだけいやな光景を目にした。彼女らが写真に夢中の時間帯、僕は寒さから逃れるために備前焼の展示場兼喫茶室でコーヒーを飲んでた。すると僕より一回り下くらいの女性が、相手が携帯電話に出ないことを口汚くののしっていた。注文したものが出来上がったのに、喫茶室に入ってこないことへの怒りのように聞こえた。なぜなら店の人に謝っていたから。その後女性は出て行ってまもなく、それこそ僕の一回り上くらいの男性を連れて帰ってきた。そしてさっきの電話に出なかったことを責めていた。ただ、その叱責は男性には聞こえているのか聞こえていないのか、、じっと黙っていた。その光景を理由に「お父さんは、耳が遠くなって、コールしている音が聞こえなかったんです」と店の人に説明していた。そして「太鼓がもう始まるから先に行くよ。椅子が少ないんじゃから」と言い残して出て行った。
 その後男性はゆっくりとコーヒーを飲んで、そしてカップなどを返却口に戻して静かに出て行った。
 家庭内で普通に交わされている会話だから、それが見たくなかった光景ではない。いつか遭遇する自身の光景と重なっただけだ。懸命に生きてきたつもりでもなかなかか家族には評価されない。ある意味家族とは残酷なものだ。だからそれを自ら壊す人や、最初から作らない人たちが多いのだろう。幸せなんてあやふやなものだ。色も形も匂いもない。だからそんなもの、元々手にとることはできないのだ。

生協

 新幹線で漢方相談に来てくださった若い女性が、大都会の漢方薬局は「入りにくい」と言った。なぜだか聞かなかったが、相対する僕の薬局は「入りやすかった」かもしれない。邑久駅から来る途中は道の両側に田んぼや荒地が広がっているから「心配だっただろう」と言うと、道が曲がりくねっていたので心配になったと言っていた。そういえば都会はそんなには曲がらないと言うか、曲がるなら直角が多い。田舎は山に沿って道路が走っているから、確かにカーブが多い。言われてみて初めて気が付いた。外の人でしか分からない気づきだと思う。
 連続で仕事をしていたから昼食を食べる時間を逸していた。その女性も食べていないことが分かったので、生協で買った豚マンを相談机の上に広げて一緒に食べた。中国人街があり、わざわざ遠くからそれらを食べに行く街から来た人に、生協の豚マンを出したのだから、さすがに妻も恥ずかしかったみたいで、彼女が帰った後、失礼なことをしたかなと反省していた。
 これは想像でしかないが、もし僕の薬局が都会の漢方薬局と違って少しでも入りやすかったとしたら、仕組まれた権威がないってことに尽きると思う。権威で治さないし、権威で暴利をむさぼらない。そもそも僕の薬局は漢方薬局ではない。サロンパスも売るし、処方箋調剤もするし、老人施設の調剤もやっている。それぞれがなんとなくバランスを保っているので、いかにもそれらしい飾り付けもしない。来てくださった人に自分たちの能力で出来ることをする。ただそれだけなのだ。だからサロンパスも医療用の薬も漢方薬も必要なだけなのだ。
 帰る前にオリーブ園に上ってみると言うので妻が頂上まで車で送った。帰りは歩いて下り、バス停からバスに乗り帰っていくらしかったが、頂上から見る瀬戸内のやさしい風景に癒されて又都会に戻っていく。僕の漢方薬と、ゆっくりと流れる時間と、人の少ない風景で望まれる体調を取り戻してほしい。殺気立ち、殺伐とした大都会ではありえない心模様をお土産に、新しい1枚のページをめくってほしい。