敬服

 若いころならこれらは「どじ」と呼ばれるが、今ならなんと呼ばれるのだろう。ひょっとしたら哀れんでくれて知らぬ顔をしてくれるかもしれない。2日連続の出来事なのだが。どちらも口の中という共通項がある。
 まず最初のどじ。僕の生活はこの10年以上は首と腰の痛みとの共存で、体調に関しての唯一の自身の興味はそれだった。だからさすがの飽き性の僕でも、そのための薬を飲むことは欠かさない。僕が飲む薬は錠剤が大きくて、なんらコーティングを施されていないので、水分を吸う性格上たくさんの水で飲まなければ食道粘膜に引っかかる。以前一度だけやったのだが、今回二度目の食道引っかかり事件を起こしてしまった。慌てていて少量のお茶で飲み込んだものだから食道にひっかかってしまった。2回目だから軽く見てなんら処置をすることもなく仕事をしていたら、なかなかひっかかりがとれない。数時間たっても取れなくてそのころやっと慌てだした。ただ慌てたって取れるわけではない。少量の水を頻回に飲み続け、最後にはパンをほしくもないのに小さく切って食べ続け、その夜に何とか取れた。ただ何時間も食道にくっついていたのでそこが炎症か脱水でも起こしたのだろう痛くて、のどの痛みをとるシロップを今度は何回も飲み、深夜寝ている時間帯にやっと治った。僕の薬局ではたくさんの方に飲んでいただいているが、皆さんには必ず注意喚起するが、自分はこのようにいたってずぼらだ。
 2つめのどじはお餅事件だ。僕はガムを食べるとよく歯の詰め物が取れたので、この何十年ガムを噛むことはしない。ところがガムでなくお餅で同じようなことを起こした。ただお餅が性質が悪いのは、お餅は噛まずに飲み込むということだ。お餅を飲み込んだ後、奥歯の詰め物が取れたことに気がついた。お餅の固まりと一緒に飲み込んだのだ。これは慌てた。決して鋭利なものではないと思うが気持ちが悪い。そこで指を突っ込んで吐こうとしたが出てこない。結局はあきらめて自然に任すことにしたのだが、考えてみれば歯くらいですんでよかった。気管をふさぐ事故をよく耳にするが、おそらくそうなればなかなか助からないだろう。窒息は苦しすぎるから、そのような事故に遭遇したくはない。もうそろそろお餅とも縁を切る年齢になったのかなと思わされる出来事だった。
 若いころなら考えられないようなことが日々よく起こるようになった。病気は治るが老化は治らない。若いころの想像力などではとても及びつかない現実に日々遭遇する。人の宿命に無数の人たちが耐えてきたのだと、ごくごく普通の人たちの強さに敬服する。

自由

 全身麻酔も3回目だから人生初の有給休暇みたいな感じで行ったのだが、ちょっと違っていた。細胞検査はフォローの厳密さが違う。単なる検査だと麻酔の影響が完全に消えたら帰れるのだが、生検は出血が止まらなければならないので、安静度が違う。抗生物質などの点滴を常時2本くらい刺され、ベッドの上に3時間くらい横たわっていた。その後は点滴を引きずりながら行動をしてもよいのだが、なにぶん暇で、川崎病院の特別室はよすぎて外部の物音も聞こえない。時折というか、しばしば検温や酸素濃度や何やかやと調べに来る看護師さんが、救いになる。
 食事は摂れないから、お茶を飲むくらいしか口に入れるものはないのだが、点滴で朝から水を入れられているのでのども渇かない。本当にすることがなくて、こんなことなら4人部屋を頼めばよかったと思った。
 帰れるまであと18時間などとある程度の予測を立てて暇と戦っていたが、なかなか暇というのに慣れていないからかなりのストレスだった。テレビも備えられていたが、ニュースくらいしか見ないのでそのはしごでは時間はつぶれない。ただひとつよかったのは、水戸黄門を最初から最後まで見れたこと。普段は最後の10分(印籠を見せる場面)だけ家族に見つからないように2階に上がって見るのだが、最初から通して堂々と見えたのはうれしかった。しっかりと最後は涙を流した。
 まあ、こんなこともあろうかと、薬の雑誌を6冊持っていっていた。これは正解だった。テレビに飽きては雑誌を広げ、夜目が覚めると雑誌を広げ、結局4冊読んだ。毎日忙しくて読む時間などないからこれは快挙だった。
 初めての入院体験で少しだけ学べた。多くを学べたといいたいが、おこがましくてそんなことは言えない。僕の両親を含めて大切な人を見舞ったり、薬局にやってくる人たちの入院体験などを聞いていても、なんら実感として捉えることはできなかった。「入院の孤独」の本のひとかけらを経験できた。口に出すのもはばかれる位の経験だが、これで少しだけ共感することができるようになった。そして入院などしなくてすむように、頼ってくださる人たちの役に立てるよう力を尽くすことの必要性を実感した。大きなことはできないが、やはり縁ができた人たちの健康に寄与しなければならないと思った。
 もうひとつついでに感じたこと。たった24時間の入院生活でもこんなにストレスを感じたのに、これが刑務所だったらどうだろう。何十年も狭い部屋に閉じ込められることに人は耐えれるのだろうか。一時の激情で罪を犯してしまうのだろうが、その後の孤独を思えばそんな激情など小さい、小さい。ゆめゆめ罪は犯さないように、加担しないように。自由ほどすばらしいものはない。

劣化

 シンフォニーホールの一番高い観客席と言えば、3階の一番後ろの席。舞台を谷底のごとく見下ろすような位置にある。もちろん顔などはっきりとは見えない。ただそれが第九の演奏会だから顔が見えようが見えまいが関係ない。いつものように感動をひたすらいただいて帰った。ただ今回山頂だったせいでひとつ気がついたことがある。それは管楽器が意外と少ないということだ。弦楽器のおそらく4分の一くらいの割合だったと思う。何を思ったか僕は数えたのだ。弦楽器は40人くらいいたと思うが、管楽器は10人くらいだった。もっともこれもはっきりとは見えなかったので誤差は当然あるが。まあ、毎年何らかの発見があるから、少しは耳も肥えてくれないかなと期待している。
 演奏とは直接関係ないのだが去年と同じことが、また今年も起こってしまった。例によってベトナム人のチケットも5枚用意していたのだが、待ち合わせ場所に行ってみると3人しか来ていない。通訳にたずねると、昨晩なべを食べてあたったそうで一人がダウンしているらしい。一人は元気らしいが、ダウンしている女性と仲がよくて一人では来たくないそうだ。20数人の寮生がいるのにどんな理屈かよくわからないから不愉快だった。そして輪をかけて不愉快だったのは、そのことを教えてくれたら妻や玉野の教会のベトナム人を誘うこともできていたのに、間際になるまで連絡してこなかったことだ。寮は我が家の隣地だから朝、戸を叩いてくれさえすれば簡単に代理は見つかる。第九を聴きたい人はいくらでもいるのに。
 僕はチケット代が惜しいのではない。考えが及ばないことが残念なのだ。いとも簡単に自分の都合を優先する最近の来日者の気質が度々僕を失望させる。今回もコンサートが終わった後親指を高く上げて感動の気持ちを表してくれた来日早々の3人のしぐさで僕の気持ちは辛うじて救われたが、しばしば繰り返される行為に、この10数年のベトナム人の質の劣化を心配する。

洞察

 僕の耳が悪いのか、向こうの喋りが悪いのかわからないが、何度か入り口で躓いた。向こうは僕の名前を確認していたみたいだが、僕はヤマト薬局ですと毎回答えた。そもそも電話を取ったときの向こうの所属も名前もわからなかった。どこの誰かは名乗ったみたいだが、結局そのどちらも聞き取れなかった。僕より年配のように感じたが、少なくともどこの誰かを最初に名乗ったのは、そのどちらも名乗らない、電話をかけたことがない世代よりはましだ。
 僕の個人名を重視した相手の用件は、僕の家族に結婚対象世代の人間がいるかどうかの質問だった。大きなお世話だから「いない」と答えると電話を切った。後で、あれは何のための電話だったのだろうと考えた。もしその対象世代の人間がいたら何を言ってくるつもりだったのだろう。いい人でも紹介するというのだろうか。結婚をしない人が増えたから、客が来ない結婚相談所の人だったのだろうか。それとも新手のオレオレ詐欺なのだろうか。いずれにせよ、招かれざる客であることは間違いない。その電話を糸口に何らかの収入を得ようとしているのだろうが、働いている時間にその手の電話に割かれる時間はもったいない。「1万人くらいかけて一人くらいは引っかかるのかなあ」と妻が言っていたが、割が合わぬようで割が合うのだろう。おそらくいわゆる客単価がべらぼうにつくのではないか。
 珍しい経験をしたが、よくあることなのではないか。まだ目にも耳にもしたことがなかったが、いずれ消費者センターあたりから注意喚起されるのではないか。どうでもいいことに膨大な人材が浪費されている。だから外国人を呼ばなければならない。本当に人手が不足しているのではなく、存在してはいけないような企業のせいで、日本人労働者が不足しているとは古賀茂明さんの言だ。目からうろこの洞察だった。

魅力的

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昨年、偶然郵便検診で出血が見つかって、あれは確実に痔の出血だと思っていますが、こうした流れになってしまいましたが、
息子いわく、検診で見つかったら運がいいから喜ぶべきなのだそうです。
最初はその言葉を受け入れることはできませんでしたが、流れに任せていると、それはそうだと思えるようになりました。
そもそもなんら病気をしないなんてありえませんし、この10年くらい痛みとも戦っています。
体に老いは確実に現れていますから、すべてを受け入れることができます。
みんなが通る道を通っているだけです。
僕くらいの年齢になると、明日は必ず今日より悪いのです。
希望などありません。今終わってもなんらかまわないのです。
あの麻酔から覚めさせてくれなかったらどんなによかったのだろうと思います。
あの1秒で落ちる眠りは魅力的でした。夢をみない眠りはもう何十年もなかったですから。
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歳相応

○○さんへ

今日作って送りました。
心配してくれてありがとう。
体調が悪くて返事ができなかったのではありません。忙しすぎて完全には粉せられないのです。
ゆっくりとしたスピードで充実していたころが懐かしいです。
おそらく多くの薬局が廃業して残った僕のところに相談が集中しているのだと思います。
実際に牛窓に来てくれる人の距離がどんどん延びていて、車で2時間くらいの人も結構います。
意地でも効かせないと気の毒ですからプレッシャーはありますが、やりがいでもあります。
さて体調のことですが、歳相応になってきて、いいところを探すほうが難しいいです。
僕は検診などというものは受けるタイプではなく、予防もしないし節制もしないのですが、
昨年息子に言われて受けた検診でしっかり怪しげなものが見つかって、それ以来は正体不明のものと同居です。
病気になって見つかったのではないから、息子は喜べといいますが、そんなにうれしいとは思いません。
むしろ何も知らなくて好き放題し、行き詰ったら頑張るというタイプですから、なんとなく毎日が窮屈です。
来月のその日を境に暮らしぶりは変わるかもしれませんし、同じように惰性で暮らすかもしれません。
どちらにしても僕らの世代で希望などというものがあるわけではありません。
苦痛でなければありがたい、そんなところでしょう。
あなたの年齢を見て驚きました。初めて飛行機でたずねてきてくださったとき、あなたは僕の都会に対するイメージを変えてくれました。
こんなに素朴な方もいるのだと安堵しました、あなたの職場での姿、機上から撮ってくださった富士山の写真、どちらも大切に保存しています。
僕の薬局人生でいい時代だったのかもしれません。
まさかこの年齢で、人生で一番肉体的に働いているなんて。
全身麻酔で1秒で眠りに入った瞬間が、僕は2度経験しましたが、至福のときに思えました。

ヤマト薬局

劣化

 最近の午後7時は真っ暗だが、まだ町が眠っているわけではなく、車の通りも多い。その時間帯にちょうど僕は岡山市から牛窓町に入る峠に差し掛かっていた。対向車とすれ違ったすぐ後だったからライトは下に向けていた。前方に何か障害物が見えたから用心しながら近づくと、いのししが4匹左車線にいた。大人のいのししではなく、さりとて赤ちゃんでもない。その中間くらいの大きさのいのししが僕のライトで目を光らせた。ゆっくり近づくと当然いのししは逃げると思ったのだが、4匹とも動きを止め僕の車の前から少しの間動かなかった。車に驚かないというか、車を恐れないことにびっくりした。このあたりでいのししが出ることはしばしば薬局に来る人から聞いていて、畑をあきらめたりしている人を何人も知っている。一瞬僕はその人たちのことが頭によぎって、アクセルを踏んで退治することも考えたが、生きているものを殺すということはよほど神経が据わっているか、よほどその意味を知り尽くしている人にしかできない。一瞬よぎったものの1%の確率も実行する勇気はない。農家の人たちの窮状を聞いていて、猟師になって鉄砲で退治してやりたいと本気で思うが、よほどの覚悟がないとそれもできないのだろう。遠くから引き金を引くのと、目の前で車でひき殺すのとではこちらの心の負担があまりにも違う。
 今はどこの町を走っても、道路沿いに背丈以上の草が壁を作っている。走りながら荒れた土地がやたら目に付く。牛窓に限ったことでなく、あの草むらに多くの獣たちが潜んでいるのだろうと想像する。せっかく長年かけて整えてきた農地が簡単に荒地と化していく。あたかも工業のほうが勝っているかのような世情に、人の心とともに農地が荒れていく。季節によって作物が衣を変えていく、そんな何気ない、そしてありがたい光景をもう見ることはできないのだろうか。自然の恵みをいただいていた人間が、石油からできたサプリメントをありがたくいただく人間に代わった。恐るべき劣化に付き合いたくもないし見たくもない。