都市伝説

 今まで我が家で飼っていた3匹の犬の名前を妻が呼んでいる。勿論3匹とも亡くなってしまったから、妻が乱心しているのではない。愛すべき犬達の名前をつけてこの数日呼んでいるのは、ツバメの雛達だ。巣から落ちた雛を巣に戻してもすぐに落ちてきた。どうやら一番先に大きくなった雛が場所をとりすぎて落とされるみたいだ。その光景を見た娘夫婦が、巣の下にハンモック様のものを作ってあげたら、最初に落ちて死んだ雛の二の舞は全て防げた。ただ、餌を親鳥がやってくれるのか心配だったが、段ボール箱に入れて階段を上がったところに置いてやったら、律儀に親は餌を運んでくれた。いったん人間の臭いがついた雛は親は育てないなどと都市伝説みたいなものを信じていたから、その光景には救われた。娘夫婦が懸命に餌となるものを探していたが、1日でダウンしたから。
 夜は小さな箱のままリビングに入れてやる。ひょっと蛇がかぎつけて襲われたらあまりにも無残だから。それだけは避けてやりたいから、家の中で夜は過ごさせる。妻は手のひらに乗せて撫でてやったりしているが、ツバメ達は全く恐れない。まるで犬か猫みたいな関係が築かれている。野生の鳥がどうして人間を恐れないのか不思議だが、飼えば懐くのではないかと思わせるほどだ。野鳥を飼ったら違反らしいからそれは出来ないが、気持ちが通っているがごとく見えるのが不思議で仕方ない。おびえて逃げる素振でもするのかと思いきや、なんだかうっとりとして手のひらで3匹が休む。なかなか心休まるいい光景だ。
 今日一匹が巣立った。巣から出なく紙箱から。自然のルールの邪魔をしないで小さな命を救えるのが嬉しい。

記憶

 僕の記憶では、愛媛県今治市は加計に3年間で100億円近く援助するのではなかったか。今度の大雨による被害で当然、加計はその援助を断り、愛媛も今治も援助を中止するのだろうな。土砂で埋まり、水に流され、窒息して苦しみもがきながら亡くなった人たちの事を思いやる気持ちは、加計に援助を決めた今治の市長や前の県知事や、それらに賛同した県会議員や市会議員は持っているのだろうな。家を流され、家を潰され、家財道具も車も農機具も失った人たちの生活苦を、まさか気にもしないで放っておくことなどしないだろうな。アホノミクスの友達だと言う理由でポンと100億出したんだから、何千何万の被災者にもポンと金を出すのだろうな。
 愛媛県の人、どうぞ普通の人を大切にする人を政治の舞台に上げて。どうぞ権力を振りかざす人を地獄に落として。ごくごく普通の暮らしをしている人が地獄を見てどうする。亡くなった人、被災した人、皆、田舎のお人よしでなかったの。税金を自分や親友のために使ったりする人なの。愛媛の人、対岸の悪人を許さないで。庶民が自分達の首を締めてどうする。よってたかって大きな悪を倒さなければ。やられっぱなしでどうする。

退場

 耳が遠くなったのかなと思わせられるくらい小さな声で電話をかけてくる女性だった。実際、僕の耳が遠くなり始めても不思議ではないが、他の人とは明らかに聞こえにくいので、ご本人の声はかなり小さいのだと思う。妻が電話を取ったときにも同じ感想を述べていたから、僕の老化現象だけではないのかもしれない。
 そんな女性が先日の電話の時に初めてよく聞こえる声で喋ってくれた。耳が痛くなるほど受話器を押し付ける必要がなかった。ただただ元気になってくれたから声が出だしただけなのだ。この方は、僕に相談してくださる前に沢山の漢方薬を飲んでいた。何のために何々と教えていただいたが、僕には理解できなかった。当然何となく効果を感じるものもあったみたいだが、僕に言わせればその効果に根拠がなかった。こうした内容の漢方薬だから、このようなことが期待できると当たり前の因果関係が見つからなかった。病院で出された漢方薬か、漢方薬局で購入したのか、ドラッグで自分で選んで買ったのか分からないが、いずれにしても全くの的違いだった。
 小学校から体調不良だった人だから年季も入っている。おならが1日50発以上出るらしい。船に乗っているようなふらふらがあるなど、生活の質はかなり落ちていたが、今はもうほとんど大丈夫だ。他にも不快症状を上げればあるのだが、僕が言いたいのは「とにかく元気にしたい」と言う僕の思いが通じたことだ。あの消え入るような声しかでないのなら、生命力としては弱すぎる。だから大きな声が出る様になって力強く楽しく生きて行って欲しいと思ったのだ。別にそんなことを頼まれてはいないが、逆にそういったことを目的に作った漢方薬しか効かないのではと思ったのだ。
 恐らく電話での印象だと「虫も殺せぬいい男」ではなく、虫も殺せぬ優しい女性な筈だ。僕はそういったタイプの方が苦しむのを見るのが辛い。苦しむ理由がないからだ。恐らく人を責めずに自分を責めるタイプだと思う。他罰的な人が多い現代で貴重な人たちだと思っている。
 僕も年齢とともに使う漢方薬が穏やかになってきたと思う。多くの先輩達が歳を重ねるに連れて使う処方がマイルドになっていくのを見ていて不思議に思っていたが、恐らくあの方々も、個別の症状ではなく全体像を経験的につかめるから、処方が次第に攻撃的でないのに変わって行ったのだと思う。僕もその境地にやっと辿り着きつつあるのかと思うが、武器は違っても人様のお役に立てれるのはこの上ない幸せだ。歌丸は高座の上で最期を迎えられたら本望と言っていたが、僕はその種の職業とは違う。「心身ともに健康」でなければ現場には立てない。体は日替わりで痛み、見えないところで遺伝子が暴走し、最終コーナーを走っているのを毎日実感させられるが田舎の薬剤師に切るべきゴールのテープなどない。待ち受けるテープなどもない。いつかそっと退場するだけだ。

「生きとったんじゃな」
倉敷市真備町の会社員、野村浩史さん(31)は病院で目覚めた瞬間、こう思ったという。体力が回復した10日午後、退院した。野村さんは豪雨が降り続いていた6日夜、自宅に父母といっしょにいた。同午後10時ごろ、真備町地区に避難勧告が発令されたことから、「車がやられたらどうにもならん」と先に高台の公園に避難。車内でサッカー・ワールドカップの中継を見ていた。状況が急変したのは7日午前1時ごろ、まだ自宅にいた裕美子さんから、「(水が家の車の)ボンネットまできた、もうダメじゃ」。2時間後には「肩まで(水が)きた」とLINEでメッセージが届いた。「行かな」。夜が明けると車に積んでいた釣り用のゴムボートに空気を入れ、午前8時に車で自宅近くの土手へ。だがそこでは、一変した街の光景が広がっていた。「まさかこんなことに……」雨が降り続く中、ボートで必死に300メートル先の自宅を目指した。裕美子さんは一足先に市のボートに助けられていたが、周囲を見渡すと、大勢の人が取り残されていた。ベランダで胸まで水につかったおじいさん、屋根の上でタオルを振る知人、小さな子どもの姿も。「屋根まで上って待っとって! またすぐ来る」と声をかけ、順番にボートに乗せ始めた。定員3人。片道10分以上かかる土手までの道のりを何度も往復しながら、動画をSNSに投稿し、知人に応援を求めた。目の高さにある電線をくぐり、クギが刺さったがれきを避けて進む。何度も屋根瓦にあたり、ボートに穴が開いたらどうしようと不安がよぎったが、それ以上にさっき無事だった人に万が一のことがあれば、という思いが勝り、オールをこぐ手が止まらなかった。救助活動を4時間ほど続けた昼ごろ、手がしびれ始めた。前日から何も食べず、飲み物もほぼない。脱水症状と疲労でろれつが回らなくなり、倒れた。20人ほど助けたが、「まだ残ってる」「行かないと」と口にし続けたという。その様子を見た友人らがボートを受け継ぎ、午後7時ごろまで救助活動を続けた。すんでのところで救助された男性(69)は、「あそこから20分ももたなかっただろう。本当にありがたかった」と振り返る。


 自民党森山裕国会対策委員長は10日の記者会見で、記録的な大雨になる恐れがあると気象庁が発表した5日の夜、安倍晋三首相らが自民党議員の懇親会に出席したことについて「大雨や災害が予測される時は、できるだけ、そのようなことは慎んだ方がいい」と苦言を呈した。衆院議員宿舎で開かれた懇親会「赤坂自民亭」は、首相のほか、岸田文雄政調会長竹下亘総務会長、小野寺五典防衛相らが出席。森山氏は出席していなかった。西村康稔官房副長官が5日夜、グラス片手に笑顔の集合写真を添え、「和気あいあいの中、若手議員も気さくな写真を取り放題!」とツイッターに投稿すると、ネット上で「この非常時に懇親会!」「中止に出来なかったのか?」と批判が広がった。

 ごくごく普通の青年がとった行動と、特権に守られたやつらがとった行動を皆さんはどう評価する。不愉快極まりなくてアホノミクスを1秒たりとも見ることが出来ないが、こんな男を許すことが出来るこの国の人間の意識の低さにうんざりする。こんな男の存在を政治の世界で許していいのか。貧乏人が生き死にの窮地に立たされているときに、酒盛りをしていたのだろう。打ち首獄門を何回したらいいのだろう。こんなに馬鹿にされて平気でおれるのか不思議で叶わない。自尊心などと言うものがこの国にはなくなったのだろう。日本人の心がアメリカナイズされたのか、ロシアナイズされたのか、それとも中国ナイズされたのか、それとも北朝鮮ナイズされたのか。恥を忘れた政治屋や疫人、アホコミの存在が恥ずかしい。

内密

 「その後も漢方薬を続けているが、主治医には内密にしている。服用し始めの頃、患者が何気なく質問したときに、即座に漢方薬を否定する答えがあったため、禁止されないようにそのまま黙っている」
 この文章は、患者が書いたものではない。漢方薬局の薬剤師が書いたものでもない。漢方医が書いたものなのだ。漢方医と言う言葉が実際にあるのかどうかしらないが、漢方を標榜している医師が、全身性エリテマトーデスの患者さんを救ってしまったからとった行動なのだ。普通なら、どんな治療をしているか知らせそうだが、医者の間でも秘密にするのだ。その患者が漢方薬を飲めなくなったら困るから秘密にしているのだろう。
 僕ら圧倒的に医者より社会的評価が低いものが、運悪く患者さんを治してしまったりしたら、医者のプライドで何を言われるか分からないから「黙っていればいいじゃない。下手に言うと怒られるよ」とよく言うが、実際に医者に言っても何のメリットもないだろう。余程漢方薬に造詣が深い医者なら許してくれるかもしれないが、下手をするとボロカスに言われて折角効く漢方薬でも効かなくなりそうだ。まだそのくらいはいいとして、最悪なのは、薬剤師が懸命に考えた処方を横取りする医者も結構いるみたいだ。何を飲んでいるか聞きだして「保険が利くから安いよ」などと、何の職業かと問いたくなるような営業をする医者もいると聞く。さすがに田舎にはいないが、都市部は競争が激しいのか薬局を大いに困らせているらしい。
 僕の薬局にもそうした都会の風景みたいなものが少しは垣間見られるが、まだまだ珍しい光景だ。むしろその逆もある。病院で貰っている〇〇〇の漢方薬が効かないから、同じ薬を煎じ薬で作ってとか、台湾の漢方エキスで作ってなどと頼まれる。症状を聞いて正しそうに思えば作るが、それなりの金額を頂いてもどなたも文句を言わない。やはり何をおいても効かなければ意味がないのだ。製薬会社が利益をがっぽり得て、それを政治家に還元する。日本の漢方薬の主流はそういった流れだろう。どこの世界も同じで、1度やると汁が旨すぎてやめられないのだろう。だから何代も政治屋がのさばる。
 

情報

 6日午後11時30分ごろ、岡山県総社市下原のアルミ工場「朝日アルミ産業」が爆発し、火災が起きた。県警や市消防本部によると、周辺の民家など4棟に延焼したほか、爆風で民家の窓ガラスが割れた。少なくとも5人がけがをして救急搬送されたが、命に別条はないという。当時工場には誰もいなかったという。

 たったこれだけでは実際の爆発規模が想像できないだろう。マスコミは何を隠しているのか、調べる能力がないのかしらないが、実際はこんな単純な表現で終わるような規模ではなかった。水害がやたら倉敷のことばかり放送するのと何やら関連がありそうだ。岡山県でももっと広範囲に水没箇所が広がっていて、実際に被害にあっている人はあんなものではないのに、他の場所を放映しない。愛媛県でも甚大な被害が出ているのに、加計のことを国民に思い出させたくないのか、映像は滅多に出てこない。
 今日薬を取りに来た人達によって多くの情報が漏れていることに気がつかされた。如何にマスコミの報道が一部に留まっているかよく分かった。多くの人が自分の近所で起こった災害現場を携帯カメラで写して仲間に送っている。倉敷の光景となんら遜色ない現場が沢山写されていた。牛窓に結構近いところでもかなりの被害だったことに驚いた。川がある町に降って湧いた災難だったことが分かる。
 又例の総社の爆発についても驚くべき話を聞いた。西大寺から来た患者さんだが、総社から20kmくらい離れていると思うのだが、正にあの時間に窓ガラスが4回くらいまるで地震のように揺れたらしい。それどころか、その女性の友人は岡山市に住んでいるのだが、窓ガラスが数枚割れたらしい。岡山市でも総社よりだと結構近いが、それでも10kmくらいあるのではないか。だから恐らく被害はもっと広範囲だったのだと思う。それが地形や天候や建物などに影響されるとしても、条件が整ったら10km、20kmまでも被害を及ぼすと言うことだ。福島の原発の爆発と関連付けて考えてしまうくらい類似性があるが、その話をぶり返して欲しくないアホコミの忖度が働いているのだろうか。
 アホノミクスは大好きな外遊を取りやめたそうだが、あいつが世界や自分の仲間にばら撒いた金で十分すぎるくらい被災者を救うことが出来る。貧乏人から巻き上げた金を海外にばら撒き、それを自分の仲間達が何倍にもして回収する。友達を優遇して儲けさせる。やりたい放題の人間を、又ここで被災者と言うレッテルを張られた人たちは許すのか。貧乏人が金持ちや権力者を許す。これぞまさしく下層階級の自爆テロだ。

 今回の大雨は岡山県ではどちらかと言うと西よりに被害が出た。東にある牛窓はその点幸運だった。雨は降り続いたが大きな雨ではなかった。恐怖を感じるようなものでもなく、時間帯によっては小雨のときもあった。そんなタイミングを見ては、娘が外に出ることを繰り返した。僕は僕の仕事があるからそんなに気にしていなかったが、すぐに帰ってきてそのまま二階に上がるから少し気になり始めた。すると妻と娘がある会話を始めたのでその意味がわかった。
 実は数日前に、我が家の外階段を上がりきったあたりに作っているツバメの巣から、雛が落ちたのだ。やっとツバメかなと思えるほど幼くて、ピヨピヨ手のひらで鳴く。結構かわいいものだが、そのままでは死んでしまう。階段の踊り場から手を伸ばしても届かないあたりに巣を作っているから戻してやることが出来ない。そこで仕方なく娘は、母親代わりになることに決めたみたいで、紙箱に木屑などでクッションを作り、巣の代わりを作った。まだ怖がることも知らないのか、それとも巣の上から人間を危害を加えない動物だと学んでいるのか、結構居心地よさそうにして、かわいい声で鳴く。
 となると餌をやらなければならない。それこそが娘が不可解な行動をとっていた理由だ。娘は、雨の中、駐車場に作った庭に出かけては虫を取ってきていたのだ。結構庭として完成してきたから、虫もよく見れば結構いるみたいで、バッタの子供みたいなのも結構取ってきている。蚊や、蛾ならまだいいが、小さなバッタはなんだかかわいそうになるが、今はツバメのヒナが中心だ。自然界は結構残酷で、生きていく力がないものには餌もくれない。親が餌を与えてくれないなら親代わりをして育ててみようと思ったみたいだ。
 モコを亡くしてから初めて大切にする命と巡り会ったのか。思いいれは傍で見ていて激しい。幸せなツバメ達だなと、つい擬人化してしまう。本当は恐怖でおののいているのかもしれないが。