尻尾

 「明日もまた 生きてやるぞと 米を研ぐ」有名な俳人の句ではない。引き取り手のない人が死んだ家を片付ける業者が、散らかった部屋で見つけた冷蔵庫に張られた紙切れだ。家族に遺品を渡そうとしたが、家族はもう縁を切ったと受け取らなかったそうだ。ただ、部屋で見つかった160万円ほどの現金は当然受け取ったらしいが。
 孤独の中で懸命に生きたのだろうが、60歳代で命が尽きたのは無念だっただろう。かつて家族に迷惑をかけたと悔いていたらしいが、そして子供からは縁を切られていたらしいが、子を思う親の気持ちは変らなかったろう。 社会から孤立し、家族から見捨てられ「明日も生きてやる」と言うモチベーションは何だったのだろう。何のために明日も生きなければならなかったのだろう。カップラーメンなどのゴミが散乱した部屋だったというから、生活ぶりは想像がつく。しかし、そんな中で生きてやるという強い生への欲望が強いのは何故だろう。
 僕より少し上の人だから丁度段階の世代ど真ん中の人かもしれない。だから高度成長の恩恵を受けている世代で、絶望が苦手なのかもしれから、身の回りの状況が悪化したときにも又頑張れるのだろうか。ただ、それが何かをなすというものではなくただ生きることがテーマになっているところが哀れだ。生きればいいというわけではない。何をどのようにするために生きるという強い目的や理由が必要だ。この方は米を研ぎながら、幸せの尻尾でも見えていたのだろうか。              

 僕にとっては恵みの雨だったのだが、あの人たちにとっては迷惑な雨だっただろう。
 朝出かける時間帯に雨が強くなったので、かの国の女性達を笠岡ベイファームにポピーを見に連れて行かなくても良くなった。そのおかげで昼過ぎには岡山で用事を済ませて牛窓に帰ることができた。メールを覗くと漢方薬の依頼が沢山入っていたので、月曜日に持ち越さないようにその日の内に作って発送しようと思った。シャッターを下ろしたまま黙々と漢方薬を作った。
 4時頃、区長が、お神輿が隣の部落に既に来ているから後10分でこの地区にやって来ると放送で教えてくれた。この放送は予想外だった。放送が始まる鐘の音の段階でさすがに「今日の御みこしは中止」と思っていた。ところが雨天決行宜しく、既にそこまで来ているらしい。僕が帰宅したときでも、雨にぬれるのが嫌なくらい降っていて、それよりも雨脚は強くなっているはずなのに、神輿を担いで近づきつつあるという。春祭りは往々にして雨が降る確率が高いが、ここまで強い雨で担いだかなあと、僕らが担いでいたころのことを思い出した。
 神輿だから船頭とは言わないのだろうが、やはりどの世界でも船頭はいるもので、恐らく誰か力がある人物が、雨でも担がせているのだと思う。肌着に白装束で、いくら酒を飲まされているといっても寒くないわけがない。恐らく担ぎ手の全員が明日仕事だろうに、風邪を引いたりしたら気の毒だ。神様のためなら雨ごときなんのそのと、やはり神様は偉いのだ。人間の健康なんぞ二の次だ。
 母が亡くなっていなければ本来今日はお接待の準備でてんやわんやなはずだったが、この雨の中で御接待をしていたらと思うとぞっとする。風邪をひくこともそうだが、漢方薬を作ることが出来ずに患者さんに迷惑をかけていた可能性がある。こんなことを言うと神様の罰が当たりそうだが。

可視化

 総じて運送会社の人は体格がいい。もっとも僕みたいなひ弱な人間では重い荷物を運ぶことが出来ないから当然といえば当然なのだが。僕の薬局には毎朝漢方問屋から漢方薬が送られてくる。ほとんどお決まりの運送会社だから皆さん顔なじみになる。だからそんなことを言っていいのと言いたくなるような言葉もつい口から出てしまう。ただ、悪意はないから僕は気にならないし、結構地域の情報が手に入ったりする。
 今朝の、「そんなこと言っていい」のは「今日は花ばっかりで大変じゃ!すごい数」と言った。一瞬ピンと来なかったが母の日のお祝いに贈られる花の事だった。そうか、巷ではそうした祝う気持ちが氾濫しているのかと意外だった。我が家にも届いたことはある。今年は分からない。僕はタッチしていなかったから分からないが、僕の母に何かしらの祝いをしていたのだろうか。母と呼べる人は一人しかいないから、妻が丁寧に毎年プレゼントを渡していてくれたのだろうか。
 百貨店やスーパーの売り上げに貢献するように仕向けられるのは腹立たしいが、見えない無上の愛を可視化してくれる機会と思えばいくばくかの出費をいとう者はいないだろう。

幸せ

 「まさかの事が起ころうとしています。来月、好きな声優さんの舞台を見るために一人で東京に行こうとしています。 ま、ま、まさか❗です。それも1泊します。・・・・・・・・・・・ずっと、ずっと、家にいた子が 東京に一人で行ってこようとしている。「こんな日が来るなんて。」 私、〇〇がパートを始めた時にも言いました。また、言わせてください。「こんな日が来るなんて。」もちろん母親ですから心配はしています。無事行ってくるのかしら?と。でも、黙って送り出します😣💦それが私の役目と思って。大袈裟なくらい嬉しいので、ご報告と やはり 先生にありがとうございます❗とお礼が言いたいのです。

 あるお母さんから頂いたメール。喜びに溢れている。長い間待ってた瞬間だ。母親の愛が溢れんばかりだ。こうした事例に触れると、日本の母親の優しさや力を感じる。自慢したくなるほどだ。いや、感謝かな。こうした母親の力が、この国が道徳的に落ちていくのを辛うじて食い止めている。ただし、段々とこのような方は減っていると思う。
 僕が接しているかの国の女性の場合はこれとは全く逆だ。娘達は親にお金を送るために働き、帰省時にはよく手伝い、親の肩や腰をマッサージして上げる。いつも親の健康を気遣い、僕に色々な質問や助言を求める。毎晩必ず国にいる親と話をしている。それも結構長い時間。日本の親子でこんなに話が出来るのだろうか。僕など1年に一度も連絡しなかったから、又僕の子供達にも連絡を貰ったこともないから、目の前で繰り広げられる光景が最初は信じられなかった。
 常々、50年遅れているという彼女達だが、この面においては遅れたままでいいのではないかと思う。いたずらに個人主義に徹しだすと、結構日常が空虚になる。働く仲間であるよりも家族であることを優先する国民と、労働資源として家族が存在する国のどちらが幸せなのだろう。恐らく笑いが絶えない彼女達のほうが幸せなのだと思う。

目標

 昨夜、ためして合点と言う番組で、痛みの病気を克服するのに短期間の目標と、長い目での目標を持つといいと言っていた。それを見ていた妻が「おとうさんのことじゃが」と言った。僕もその番組を見ながら同じことを思ったからまんざらでもない。僕も首と腰の痛みには苦労している一人だが、何としても克服したいともう何年もあがいている。と言って、そんなに努力するタイプではないから、朝晩のウォーキングくらいしかしていない。ウォーキングはとてもいいとしばしば言われて、10年くらいは歩いているが、しっかりと筋力は衰えている。首も腰も爆弾を抱えているのは以前のままだ。ただ、何となくまだもっている。いつ爆弾が破裂するだろうと思うが、幸運にもまだ破裂しない。少しはウォーキングが貢献しているのだろうか。
 この何年もの間の僕の生活は、すこぶる短い時間での目標達成の繰り返しだ。言い換えると毎週日曜日に照準を合わせて体調を管理している。勿論平日はどんなことがあっても健康でないと頼って来て下さる人に失礼だ。だから平日は健康であるという大前提の下で日曜日もそれ以上に健康でないといけない。と言うのは、かの国の女性達を色々な文化的なイベントに連れて行かなければならないから、体力と気力を温存しておかなければならないのだ。
 さて長期的な目標となると全くない。もう僕には長期などありえないのだ。なんら保障されない将来のために気力も体力も鼓舞できない。次の日曜日のことを考えると少しは元気になるが、ずっと先を考えると気が滅入る。これでは痛みの病気も克服できずつきあっていくしかない。

情報

 3年間の日本滞在中に帰国できる唯一の理由は「親の死」だ。それ以外に自由に帰国は出来ない。もっとも、1時間でも多く働きたい彼女達にそんな希望は全くないから、不満はない。今日その特例で帰国していたある女性が再び日本に帰ってきた。今年に入ってから二人目だ。まだ20代の女性の親だから僕より若い親がほとんどだ。酒もタバコもたしなむ人が多いみたいでガンが原因で亡くなる方が多い。
 夕方再来日の挨拶に来た時にもう一人の女性がついてきた。通訳を連れてきたから何か用事があるのだろうと思っていたら、これもまたガンの相談だった。スマホである写真を見せてくれた。それはガンを標榜している健康食品の写真だった。日本語なのにどうしてかの国の人が知っているのだろうと不思議だが、こういったことはしばしば経験している。日本の商品は評価が高いらしくて、健康食品で病気が治ると信じている。こういった類のものは詐欺まがいだと説明するがなかなかわかってはもらえないが、少なくとも僕が関係しているかの国の女性達に被害はない。何でも訪ねて来た女性の姉の夫のお父さんが舌癌にかかっていて手術できないと言われているらしい。場所が悪いのか手遅れなのかしらないが、これまたいつものケースだ。そもそも舌癌を薬で治そうという無謀な行為だが、高額なまがいものにだまされるわけには行かない。今回もまた、丁寧に説明してきっぱり頭の中から消してもらった。だだ、その時の悲しそうなまなざしが目に焼きついてしまって、夢でも買わせて上げればよかったのかと一瞬後悔した。
 同じ日本人同士でもこの認識の差を埋めるのは難しいが、後進国の人とならなおさらだ。出来ればこの内容の話はしたくないと思うが、いつも何処からか怪しげな情報を拾ってくる。

崇高

 「いくら頑張っても東大に入れない」。が、これは諦めがつく。与えられた才能が大きく不足しているだけでほとんどの人が条件的には同じだ。ただ、これが「人と食事が出来ない」となるとどうだろう。あらたまった席、あらたまった相手でも、ほとんどの人は食べることが出来る。そうした場面を想像しただけでも脈が乱れ、呼吸が浅くなるとしたらどうだろう。このように他人から見たらなんでもないようなことでも、越えられない壁として存在している人は歯がゆいだろう。
 僕もそうしたことを青春期には経験している。ただ、それは青春期特有のもので、多くは成人してからは持ち越さない。ところがこの女性はしっかりと持ち越している。2週間に1度会うが、。冗談が多く、話していてとても面白いのに、持ち越している壁はすこぶる高い。こんなに楽しく話すことが出来る人が、それこそ歯がゆいだろうなと、時折そらす視線が物語る。
 ところが今回、人生で何度もないような一大イベントでしっかりと食事が出来た。その日時が決まった日から心配で心配でたまらなかった・・・・はずなのに意外とそうではなく、現場でも立派?に振舞えたらしい。もう1年近く、いわゆるパニックの漢方薬を飲んでもらってきたが、立派な卒業試験が出来た。もっとも以前飲んでいた病院の安定剤は漢方薬を飲み始めて暫くして卒業できていたが、卒業試験はそんなにチャンスがあるものではない。既に小試験はいくつか受けて全て合格していたが、本試験は初めてだ。
 立派にやり遂げたのに、その安堵感よりも、本当に卒業できているかを心配するのがこの手の人たちの傾向だが、こうした成功体験を積み重ねればいずれ必ず卒業できる。大人だから苦手な現場から逃げてもいいのだが、ほとんどの人が出来ることから逃げるのは潔くない。こうした傾向の方々は潔癖だから、克服できていない自分を認めることが出来ない。そうしたときに漢方薬がある。僕が作った漢方薬でそうした貢献が出来るのは、達成感がある。
 職業柄、多くの人と話し、多くの人を見てきた。人生そんなに力んで高みを目指す必要などなかったと今は本心から思える。何を競わされていたのだろうと考える。逝く時に如何に身軽でおれるか、そうしたテーマのほうが崇高に思える。持てる不自由より、持たざる自由のほうが僕にも、少し若いその女性にも、僕の漢方薬を飲んでくれている多くの人たちにもふさわしい。