大切

 電話を受けて開口一番が「大学合格しました」だから、僕に伝えてくれるのを楽しみにしていてくれたのだと思う。当然僕も嬉しかった。何故なら彼の場合は、ひとつだけ悔やまれた点があったからだ。
 と言うのは、彼のお母さんが僕に初めて接触してくれたのは、彼の高校受験の数日前だったと思う。過敏性腸症候群でかなりの腹痛と下痢だったと思う。受験を控えて何とかならないかと言う相談だったが、いかんせん、あまりにも時間がなさ過ぎた。案の定、間に合わず受験できなかった。せめてもう1週間、いやもう数日早かったらと思ったが、それでも効かせなければならないのだろう。
 その後彼には漢方薬を送り続けた。彼の場合は必ず本人が電話をしてくる。4年近く2週間毎に話をしたから、いや今年になってからは2ヶ月に1度くらいに減ったが、いわゆる彼が普通の高校に行っていたら高校生時代ずっと話をしていたことになる。現代は色々な救済措置が用意されているから、その中のひとつである、特殊な高校に通いながら受験資格を取得した。そしてこの春はれて大学生になることが出来た。
 過敏性腸症候群と戦いながら、彼が頑張ってこれたのは「東京の大学に行きたい」という強い願望があったからだ。過敏性腸症候群の方の傾向として、どちらかと言うと行動的と言うよりも思慮に富んでいる人が多い。彼の場合も、年齢よりは随分と落ち着いていたが、ドラムをやり、東京の大学に行きたいという強い意思は、他の過敏性腸症候群の方とは少し違っていた。
 4年間彼を見ていて、彼の通った道が他の人にも参考になるのではないかと思った。正式なルートではなく、救済のために設けられたようなわき道ではあるが、同じ目的地に着けることを彼は証明した。
 毎日多くの方がメールや電話をくれるが、彼と同じような悩みを持ちつつ自身を制御し過ぎている人が多い。自分がやりたいことのために邁進する勇気を持って欲しい。よほどニヒルな人でない限り、ほとんどの人は夢を持っている。大小はあるかもしれないが、それに向かって少しでも近づく勇気を持ち努力をして欲しい。自分を大切にすることは決して安易に人に同調することではない。自分を大切にしてもらうなんて考えないことだ。

皮肉

よくここまで回復されましたね。当時の貴女の症状は想像するだけで同情を禁じえませんでした。
僕も首をバレーで痛め、首だけではありません腰もトイレに行けないほど激痛に襲われることも数回経験していますから、
痛みに関しては繊細です。数日仕事を布団の中で指示だけするという、肉体より精神のほうが痛い経験もしています。
ただ僕のは数日安静を強いられていれば回復する可能性が見えていますから、貴女のいつまで続くのと言うのと少し趣は異にしています。
そうしたものから解放されたとすれば同類としては安堵を許される心境です。
もし僕の漢方薬が1割でもお役に立ったとすれば、アクセルの上に置いた足の重量を減じる漢方薬だったと記憶しておいてください。
頑張ることに生きがいを感じる人特有の漢方薬だったのです。
日常をどう過ごすべきかヒントにもなります。
実はそうした人がとても多いことを日々の仕事の中で経験しています。
これもまた僕も同類なのですが。
ヤマト薬局

 今朝ある方に返信したメールの写しの一部だ。僕など比べ物にならない痛みを抱えていたが、やっと解放されたみたいだ。何年苦痛とともに過ごしたのだろう。立派な主治医がいて、所詮僕は端役でしかなかったが、上記の文章のように、頑張ることが美徳と考えている如何にも日本人らしい方に服用していただく漢方薬を経験的に見つけている。漢方の教科書には出てこないが応用編だ。イタイイタイで暮らしていたはずなのに、下さるメールはユーモアが溢れていて、ややもすると病気を抱えている人と言う認識を忘れてしまいそうだった。このように実際には会ったこともない多くの人格と個性に触れることが出来たのが、僕が最も苦手としているパソコンを通じてだから、これ以上の皮肉はない。

気丈

 30年、色々な助言をしてきたが、もう僕の出番は健康問題以外はあまりない。年齢を聞いて驚いたが、もう50歳が近くなっている。初めて会ったとき僕は恐らく40歳にまだ大分時間があった。その時の僕の年齢を彼女自身がはるかに越えている。当時彼女はまだ少女に近かったが、人間不信の塊だった。今もそうだが、その時からずっとやつれたままで、元気な姿を見たことがない。しかし生い立ちを知ればそれも頷ける。
 僕が彼女を大切にしたのは、珍しいほどの不幸を抱えながら、何とか全うな世界に踏みとどまっていたからだ。危うい世界に何度も足を踏み入れそうになっても何とか踏みとどまり、気丈に生き抜いてきたからだ。恐らく僕以外に自身の秘密を漏らした人間はいないと思う。どう見ても僕らに共通するところはないのに、僕に心を許したのは、決して許せなかった父親の代わりを求めていたからか。
 彼女の今のストレスのひとつに家から出ようとしない子供のことがある。御法度の裏街道を歩く人間達と渡り合ってきた母親としては、十分成長したわが子が、働かないどころか家から出ないことが許せない。しかし時代はそんな子供を守る。そのことを彼女は理解しているから動きがとれずにじっと耐えている。勉強などほとんどしなかった彼女だが今の彼女は無知ではない。
 以前なら、こうした場面で僕に尋ねないはずがない。だが今はそうしない。僕から答えが返ってくるとは思っていないのだろう。僕らは30年かかって、尋ねなくてもいいことや、答えなくてもいいことが多く存在することを学んだ。

感謝

 満身創痍と言うより単なる老化なのだろうが、家族としてはなかなか受け入れられるものではない。ミニチュアダックスだからいつまでも赤ちゃんのように見える。もう随分前から白髪が生えていたが、やんちゃで甘えん坊だったから歳を寄せたとは見えなかったし思いたくもなかった。ところが半年くらい前から耳に続いて目もかなり見えにくくなっている。光線の加減で黒目の部分が白くなっているのが分かる。白内障だ。夜にはもうかなり見えにくくなっているみたいで、外に連れ出すと足を溝に落としたりする。哀れで心が痛む。
 身体にはもう数年間、腫瘍がいくつも出来ていて、こぶの集まりのようにお腹がなっている。よその人が見たら驚くだろう。獣医はモコが歳を寄せているからもう自然に任せようということで、検査もしないし積極的な治療もしない。モコをかわいがっている娘夫婦も同感らしくて、休日もやってきてはできるだけ時間をともに過ごすように心がけてくれている。最近は足腰も衰えて動きが随分と緩慢になってきた。時によろけたりするのを見るとその都度心が痛む。僕の両親が衰えたときとは何故か感情が違う。両親のときは運命だと思い冷静に見ていたが、モコの場合は哀れで時に目をそらせたくなることもある。恐らく両親のときは、年齢相応の出来事だったから冷静であったのだと思うが、モコの場合はその姿かたちでどうしても歳相応には見えないのだ。だからあたかも赤ちゃんが病気で苦しんでいるような錯覚に陥ってしまうのだ。
 娘達はモコのために、これ以上は出来ないくらい尽くしている。豪華な食事を取り寄せ、腫瘍に効く漢方薬と体力を増す漢方薬を作り、人間だったら月に10万円位するある天然薬を飲ませている。最近は足腰のために別の天然薬も利用しているみたいだ。僕が何十年かかって人間用に考えた処方をモコの為に作ってあげている。
 10数年間、毎晩僕の体の一部に自分の身体をくっつけ一緒に眠ったり、膝の上で寝たりと、随分と心を癒してくれた存在だ。娘夫婦の気持ちが通じたのか、体重が増えて運動量も少し増えて獣医が驚いていたが、僕はモコに対する感謝として、最期は出来るだけ家族交代で膝の上に抱いていてあげようと決めている。

改革

 今日、第10回目の日本縦断和太鼓コンサートを聴きに倉敷に行ってきた。回を追う毎に出演者のレベルが上がってきて、岡山県にいてこのレベルの演奏が聴けるのはこのコンサートを置いてまずない。地元出身ではあるけれど今や全国ネットの山部泰嗣と倉敷天領太鼓、ゆふいん源流太鼓、野武士と、僕と相性の悪い鼓童が出演した。のっけから山部泰嗣と倉敷天領太鼓の「大地の大太鼓」に圧倒された。最初の曲からこれだからその日の質の高さはよく分かる。案の定、1部の全ての曲に圧倒され感動した。
 ただ、問題はその後だ。2部は「鼓童の音世界」と銘打って行われたのだが、いつもの事ながら僕に言わせれば全くの手抜きだ。今まで何回もだまされたから期待はしていなかったからショックは少ないが、それと若手による2曲は感動ものだったから彼らに大いに救われたのだが、いかにも古参と思われる人たちの出番作りと思われるようなのが多々あって、何で1部と2部を入れ替えないのだろうと思いながら、いつか知名度だけで呼ぶのはやめてくれと言う心境だった。2部で一気に盛り下がってしまった。
 民謡大会かと思われるような歌は必要ないし、とってつけたような女性の踊りもいらない。大太鼓をふんどし一つで叩く姿は、もう御歳70歳が近いのではないかと思われるような人だったので、お尻の筋肉が落ちて見れたものではなかった。僕の記憶では少なくとも去年までは、市長や議員達のくだらない挨拶で冒頭の20分近くが台無しになっていたが今年は幕が上がってからすべてが太鼓だった。反省点で恐らく上がったのだろう。こうした和太鼓ファンのための改革が出来たのだから新たな改革もお願いしたい。

尊厳

近畿財務局の男性職員が自殺したらしいと報道されて、ああ殺されたんだと思った人は僕だけではないだろう。直接手を下されたわけではないだろうが、実質は殺されたようなものだ。誰に殺されたのかな。直属の上司?その上の佐川急便?その上の阿呆財務大臣?その上のアホノミクス?。そうだ最後に上げたやつに実際には殺された。あいつの悪行を隠すために悪の手助けを強いられ、正義感との葛藤だったのだろう。
 それにしても皆いい顔をしていないなあ。下から上を見上げるような佐川急便、口をいがめて精神もいがめて人を馬鹿にする阿呆財務大臣、小心を隠すために酒の飲みすぎか、漢方で言う水毒かしらないが浮腫んだ顔のアホノミクス。だれも全うな顔をしていない。こんなやつらにこき使われ犯罪もどきの加担まで強いられ、挙句の果ては殺されたんじゃあ浮かばれない。世の疫人たちも見ただろう。所詮政治屋とはこんなものだ。如何に太鼓もちみたいに飼い犬宜しく尻尾を振っても、お役ゴメンとなればこんなものだ。どうせなら、精神を冒される前に全うなことをしたらどうだ。世のため人のために行動し、一矢も二矢も報いたらどうだ。あちらは一死をここぞとばかり利用してくるのだから。
 公務員よ立ち上がったらどうだ。こんなことをしていたら、いつの間にかあんた達の子や孫がまるで雑巾のように扱われる。汚いところを掃除するだけの道具、日の目も見られない日陰干しの身になる。わが子だけはそうならないなんて幻想だ。天皇よりえらくなりたいアホノミクスにとっては、国民はただの馬車馬だ。人参と鞭さえあれば簡単に扱えると思っている。公務員よ、馬鹿にされるのもほどほどにして尊厳を取り戻して欲しい。

原因

 泣きながら電話をしてきたのか、僕の第一声で泣き出したのか分からないが、最初から泣いていた。時々、思い出したように僕の漢方薬が必要になる女性だが、高校生くらいから知っている。
 その女性が症状を教えてくれたのだが、その症状が出るには必ず原因がある。もう長い付き合いだから正直に何でも言ってくれる。今日も素直に教えてくれた。何でも付き合っている彼氏が、結婚するには彼女がパートだということが支障になると言ったらしいのだ。僕がすぐに思ったのは彼の経済力だ。「彼の給料は少ないの?」と尋ねた。すると数字まで分からないが堅い仕事だと言っていた。安定した仕事らしい。となるとなんなのだ。彼が彼女に言ったことは、僕の発想の中には100%無い価値観だから想像するのは難しいが、いくつかは思いつくこともある。プライドがめちゃめちゃ高い。金に執着が強い。女性の稼ぎをあてにする。自分の金を奥さんには渡さない。いやいや分からない。でもどうでもいい。
 「その男メチャメチャハンサムなの。背が高くて格好いいの?そう、違うんだ。それなら不細工でケチか?良かったじゃないの、ラッキー。自分、結婚してから今と同じようなことを言われて耐えられるの?耐えれんじゃろう。今でも泣いているんだから、結婚してたら悲劇よ。結婚前に本性が分かって幸運!喜べ!。次、探せ、次を」
 電話を切る頃にはいつものように礼儀正しいかわいい子に戻った。僕にはこうした大切な子がいて、少しばかりお役に立てる。多くの人間を観察し、多くの人間の健康を取り戻すお手伝いをさせてもらったおかげで、心身ともに落ち込んだ人に笑顔を取り戻してあげることが出来る。動物としての多くを既に失った僕には若い人達はまぶしいほど輝いて見える。少なくとも自分がそういった輝きを放つことが出来た時代では気づかなかった輝きに気がつく。太陽の暖かさや、鳥のさえずりや、餌を運ぶ蟻の行列や、入江を泳ぐぼらの大群や、畑に正座した白菜や、そしてこの子達、全て輝き、いとおしい。